新宿御苑

今年で、開園百周年を迎えた新宿御苑へ行って来ました。
新宿御苑のある場所は、言わずと知れた徳川譜代の高遠藩内藤家3万3千石の下屋敷中屋敷という説も)の跡。その広大な屋敷は、江戸幕府の諸大名の中でも群を抜いていて、とても3万石余りの大名の屋敷とは思えない。これは、初代内藤清成が、三河時代の家康の小姓として、苦楽を共にしてきたからと言われている。江戸府内の外にあるのは、後北条氏滅亡直後、家康江戸入府に際して、武田、後北条氏の残党への防備のため、交通の要衝であった現在の新宿2丁目に鉄砲隊を率いて布陣していたことから、後にそのまま屋敷地を拝領したことによる。ちなみに、このとき率いていた鉄砲百人組は、大久保一帯の地を与えられ、現在の百人町の名の由来ともなっています。
そういえば、旧高遠藩内藤家十七代当主内藤頼誼(よりよし)氏(元朝日新聞ニューヨーク総支局長、現新宿区教育委員、高遠町名誉町民)とは、以前、西新宿のとあるJAZZのお店で顔見知りでした。貴重なお話を、何度か聞かせていただいたことが懐かしい。
そんな新宿御苑も、今では都心のオアシスとして親しまれ、今日もたくさんの人で賑わっていた。ちょうど、桜の季節も終わり、花の春から、緑の夏へと移り変わる間の季節です。