誤射

サルと間違えて女性を射殺した猟友会の会員が逮捕された。
思うに、この狭い日本の中で、猟銃を撃つという行為が許可されていることが怖い。野生の動物を撃ち殺さないと生活が出来ない人なんて、ほんとに存在するのであろうか。まさか、趣味で命を奪っているとしたらとんでもないことだ。秋田のマタギなどのように、古からの厳しい掟や奪った命に対する感謝、自然に対する畏敬の念などを持ち、むやみに動物を傷つけたりはしないのとは対照的だ。
昔から地元の人が山菜などを採ってきた山や登山道などに接した狩猟区で、動くものに対して反射的に発砲するなど言語道断。私も、ある山の登山道近くで銃声を聞いたこともあり、実際、深い山の中で、どこからどこが狩猟禁止地域化なんてわかるのだろうか。昨年の秋、秩父を訪れた時、長瀞の石畳の向こう岸からも銃声が聞こえた。
今回の事件は、増えすぎたサルの駆除が目的だったと言うことだが、サルが増えた原因も人間が自然界に介入しすぎたのが原因。大規模開発で森を切り開いたり、山深くにまで道路を作ることにより、動物たちの生きるための場所が減少、寸断され、それでなくても食べるものが少ない自然界を追い詰めている。さらに、動物を見ると、むやみやたらと餌を与える人たちがいるが、人間が持ち込んだ自然界に無い味を覚えた動物が森から人のすむ場所へと出てきて、人との間にトラブルが起きる。増えたから駆除と言うが、生きる場所が減り、人との接触が増えたと言うのが事実であり、人に対して害を為すから排除すると言うのは、あまりにも勝手な発想。まさに、人間至上主義。
人は、自分たちで食料を作れるし、暑さ寒さを凌ぐための衣類や住居も作れる。もっと、自然界への影響の少ない暮らしをしても良いのではないだろうか。他の生き物の犠牲の上に成り立つ生活など、人が選ぶべき道ではない。